昭和42年12月14日 夜の御理解



 今日筑水ともの会の信徒会が、本郷教会にありましてね。こっからシンショウを【 】頂かれて、もう会合の後に、平田さん【 】教会のお話があってから、今後北九州のいろいろ、会信徒会で、ぜひ合楽でその信心実習というか共励会を持ちたいから交渉をしてほしいというその願い、願っていると。こちらで受けてもらえるだろうかと言う様な。北九州の方から百名ぐらい来る。
 それでこう筑水同好会も合同したいから、二百名あまりの信者がここへ集まってくると。そしたらここで制度がまた、ついにこうある訳でございますけれども、受けてもらえんだろかという相談があって。それで。実は私からもその、ま話があれば従うという、その、若人の中にと。【 】その象徴してきましただけあったんですけれども。まあ私はあの、そしてもうやるならば、合楽の信心を確かめた、より合楽の本音を見たいという人達でいっぱいだろうと、こう思う訳でございますけれどもね。
 本当に恥ずかしい事ながら、そのどうして合楽にこれだけ、それだけの信心をはたしておるかどうか。なるほど柔軟な、まあ本当に立派にできておるけれども、内容はどうだろうかとね。形の事はま出来ておるにいたしましても、これではならない。内容がこれでは。そん時に私は恥ずかしゅうなったみたいだと。本気で私信心させてもらわなければならないという事を感じるのです
 。本当の事を【 】合楽くらい【 】ないと思うですね。お広前できた。一般的だけで言う、いうなら、裸ながら、しっぽけも必要な物も【 】為にある言葉のような感じがするんですね。そこでとことん、そのもらい物であるという、どのようなもって【 】私が決まらないかというね。私もちろんその「ね」ですね。それが和賀心をもって、やはり持たせなければならないです。ですからそういう、例えば喜びがですね。
 こう百人百様喜びがあって、百人百様いろいろできておれば、問題ないのですけれども、百人いれば【 】るのに、果たしてそれが【 】や二十五人前後と言う事では、本当に【 】な事になる訳なんですね。ですから本当にあの、その内容であるところの、根の部分はこの喜ぶと。その喜ぶというのはその喜ぶ事が、喜ぶとはどういう足ろうた事かというとですね。そのいわゆるそのみんなですね。あらゆるあらゆる事柄あるからですね。この吸収しようとするその意欲がねね。
 いわゆる喜ばそうとする、そのヨオクトウゴウがです。私共の合楽なんなんだと思うんですね。どういうアナバナでもそれを信心で消化していけれる。どういう事柄でも、それを信心の根肥やしにしていけれるという、そういう意欲があれば、これは必ず到達しますね。どんな御用しても、は【 】というしようが問題ないのです。勿論ですね。いろいろなところでは、今日でもいわゆる確かに、裸であるという感じですから。
 こういうそれにふさわしいのが、どうでも必要内容が必要だと言う事は、これは私共もこのような事に、足掛かりをその事に続けてきておる。いわゆるですけれども、そういう事を本気でお互いが、頂ききるならばとこうね。もう一切が信心の根肥やし。いわゆる努力でもしようとする姿勢。そういう態度がですね。絶えず進化をし続けるであろうといったもう確かにいきいきとした事だと、こう思うんですね。【 】から「もう先生合楽以外はですねいつも【 】です。
 リハビリもうどげんしてもらったちゃ、もうその来ては困ると言った様な事を、ま合楽で話しましょう」と言った様な方がいたといって、みえて話されたですね。確かにここのお広前は、そういう意味において、開けっ放しですね。ですからそのそれをそう受け入れてほしいというのですね。絶えずそういう姿勢ができておるね。だからこれはもう私が、まあ心強いからこの方、【 】ですから、よう知っておるですけれども、果たしてそこのところが【 】的にですね。
 受けられないならば、ではどう言う事かとね。私共の一つの両方の信心修行、タイというかね。修行の精神というものが、若者には受けれんのですね。ちょっとカッコが悪かごたる、ちょっと【 】言やあ休むね。それをこうしゅ修行するだけで、そのようなそのような意志をキュウリョウさせてしまうんです。【 】ない。違う部分ね。今日でもいわゆる【 】、もういつもの事ですけれども、【 】、【 】ひとりでにです。神様がなさる事の中ならね。お豆腐を頂いて帰る事もなからねばね。
 もう決して【 】と言う事を体験いたしました事なんです。そういう。ですから【 】ではない。東京から帰られて、もうこの話を【 】したら、どうぞ今日イック【 】やったら、聞いて頂きたい事があるからと、こうまたその事によって、ご信心を頂きたいと、こう言うてある。ところがその日に限って連絡が。私はそのゴルフの【 】のチャンスがなかったんです。しかし、まあおもしろい事にね。聞いて驚かなかったしね。どう言う
事だろうかと、まあこん、か【 】よっとかいと。
 【 】御用させて、そしたら【 】、シゲルとナオトが、おられるじゃないですか。は見事。【 】ないだろかと思うてから、いよいよ話を頂いたら【 】が【 】。期せずして、修行生をうかがっていると、【 】がサイユウ。しかも私は玄関前で【 】る。いうならば、雲のすぐ銀色にある、【 】中いっぱいあの【 】オドアリヨッタ。私が。もう、その一切れでだあれも、もう昔話するでもないけれども、内内の事でございますから、ね。親先生【 】事がしみじみと【 】とっとに【 】ですけれど。
 そのまんまにいかん。というように。そこで私は【 】たら【 】が、重なっておられる、言うなら親先生が【 】言われることならというてから、私もやってきた。期せずして集まって、それで親先生こんなこんなと【 】頂く事ができ、いわゆるそれに対する所の、御神意を伺う事ができと。親先生、ほんとにおかげいただき、人柄【 】って事は、絶対に狙いを定めて、これが金光様との道と選んだんだね。私はそれを確信しておるということだと思うんです。
 お届けしておる【 】しておるがどうしてダメだろうかと言う事じゃない。この一切が御神意なんだね。と言う事はいや、あこうと言う事が分り、いや【 】が分ったんですけど、こんな事じゃ【 】でらすらがあると言う事。実意からもう分からないにせよあるという事。いよいよのおかげがいよいよ、いよいよ【 】と仰るぐらいだからね。だからそこが、すっと、こう確信できれると言う事が、私は信心だと思うんです。無駄はないです。【 】ですか。【 】、【 】ないですかといえれる信心なんです。
 ほんとね。そういう意味【 】いうならね、もう申します。本気で修行させて頂こう。思いあっても、そう受けられるって。知ってあっても。ね。そういう、いうがまま、言うならでしょね。そういう信心を私共がです。もう合楽に御神縁いただいて、もうここのところは。願いなんでしょ。ここ、ここまでを、とでも申しましょうかね。こう言う所までは、みんな分かっているはずなんです。【 】続けてきた事なんだから。ただそれがきれいな心になっておるのかと言う事なんです。
 だからそんなこんな【 】を頂いて、そう言う事、そう事柄もですね。そう色々とあるんです。どう言う事があっても、それを自分の信心の根肥やしとさせて頂けれる、求道欲。そういう信心意欲というものを持つと同時に、そういう物の見方考え方というものを、いよいよ強め、深めていく分がです。もうおのずと内容、溢れてくるんじゃなかろうかとこうね。私【 】身体で、合楽でおかげ受けている、いわゆる、ここで信奉者とゆう人達がですね。そこのところを一つ自覚させて頂いたらですね。その向こうが合楽の信心の、内容というものではなかろうか。そして、この後、ね。内容【 】あっての、おそらく、素晴らしいそれこそ。あそこの信心の内容は、【 】と。あそこの信心の内容は、えらいと。あそこの信心の内容は願いと。もうそんなまでに【 】教会の内容、というもの言われとります。ね。いわゆる、合楽【 】言われましたような事がです。もう、信心の軸になっておる。根本になっておる。内容なんだね。これからおかげ頂いていく人じゃないとですね。溢れるような思いは、私は出てくるんだとこう思うんですよね。そういよいよ、私は、身に付けていかなければならない。それは合楽一人の事ではありません。個人もう、銘々の事によって、磨くほかございません。本当に私の信心をはらかえるだろうと、こう。はらかえながらって、ある事を行じますね。その内容を、もはそのまま、何をもってするかというと、信心の喜びであるね。そうすると一切の信心【 】喜びにしようとする思いがあるね。その共通の思いがあってこそ、初めてです。いうなら始めの一歩であり、いうなら、一歩であると言う様なね。どなたも立派な信心として、【 】受けられる。ね。またあるがままのおかげが受けられていくところの、願いというのは、そこにあるのだと。もうこの人の為にとって、そこの所の【 】を井戸がえしていくところの、精進をしていきたいと思うですね。
    どうぞ。